『なぜ勉強するのか』第二弾

なぜ勉強するのか。なぜ勉強するのか、それは頭で分かっていても、心に「勉強しなければ、勉強したい」と感じなければ、行動することが難しいというのは、おそらく高校生なら誰しもが経験する悩みだと思う。
今日は、理論的に、~だから勉強しなきゃ、…のために勉強がんばって!と鼓舞するような記事ではなく、「心に訴えてくるもの」がある、と感じたあるスピーチを紹介しよう。

今日は、観ている人もいるかもしれないが、NHK「スーパープレゼンテーション」で放送された、ある人のスピーチだ。番組の紹介は割愛する。


• 5.13 ON AIR
• Sugata Mitra
• スガタ・ミトラ
• The child-driven education
• 「子どもたちは自ら学ぶ」
英語リスニングの勉強もかねて、聴いてみて欲しい。
↓こちらのNHKの方は、時間が経つと配信が終わってしまう
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/130513.html 日本語訳付き
↓こちらのTEDの方は、おそらくいつまでも見れると思う。日本語訳付き


できれば、スピーチを聞き終わってから、この記事の続きを読んでほしい。








お疲れ様でした。

英語は聞き取れましたか?

どんなことを感じましたか?

私(ワセモン)は、普段は高校生に勉強を教える仕事をしているので、勉強したくない人がどうやったら勉強する気になるのか、ということについてよく考えて過ごしています。

おそらくこの「早稲田門」のHPを見て、さらにこの記事までたどり着いて読み進めている人はおそらく、「早稲田に行きたい」という思いが、強く、もしくは漠然とあることでしょう。そういう人は、おそらく日本全国的に見ると、ほんの一握りだということが、教師になるとわかります。

専門学校に行きたい人もいるし、就職する人もいる。大学には、「行けるところ」「楽して入れるところに入りたい」と思っている人も、沢山いるのが現代の日本だと言えるでしょう。

今年の3月、NHKで、東大生とソウル大生と、インド工科大学生が同時通訳で「勉強すること」について議論する、という深夜番組がありました。

東大生でさえ、東大に入れば、テスト前を除いてほとんど勉強しない。大学に通う間も、その番組に出演していた3人の学生は、部活やサークル、アルバイトなど、人付き合いなどに中心を置いていると話をしていました。

番組が終わって、ソウル大の学生が、「東大生があまり勉強していない、ということを知って安心した。これで韓国は、日本よりも世界で活躍する国になる。」と、笑顔で話をしていました。「国の発展や、国際間の競争」に心が向いていることがよく伝わってきました。

おそらく日本も、20年前まではそうだったのではないかと思います。1960年に高度経済成長期になり、所得が倍増し、終身雇用であり、いい大学へ行き、いい企業に就職すれば、いい結婚もできる。銀行も、女性の場合は、顔が良ければ採用されて、入社して、社員と結婚すれば寿退社する、ということも珍しくなかったそうです。

しかし、バブルが終わり、失われた20年といわれるこの平成の時代を生きている現代のみなさん、高校生、そして大学生にとっては、「目に見える形」で勉強をすることの目的や、
その利益、のようなものを見つけられなくなっているのではないかと思います。


そんな中、今回のスガタ・ミトラさんのスピーチを紹介したことには、あまり難しい理由はありません。


子どもたちの「好奇心」に、純粋に驚かされたからです。

スピーチを聞いた人は、驚きませんでしたか?

「子どもが持つ、学ぶ力」それが「好奇心」だと思います。


みなさんも、このHPを見るまでに、自然と身に着けてきた能力があります。
正確に言うと、何がしかの教育を経て、この文章までたどり着きました。

文字を読むこと。パソコン、もしくは携帯を操って、インターネットにコネクトし、このサイトを目的を持って、もしくは偶然に探し、この記事と出会い、興味を持ち、読んだのです。

私は、この記事を読むよりも、スガタ・ミトラさんが紹介した子どもたちの様子を見て、何か感じて欲しいという思いで、「なぜ勉強するのか」というテーマで紹介しました。


私も高校生に勉強を教えながら、どうやったら勉強する気にさせるのか悩んでいる、と伝えましたね。

まだ、ベテランという程に経験は積んでいませんが、自分なりの答えを持っています。

それは「楽しむ」ということです。まずは自分が楽しむ。自分が、この授業はいい授業だ、そこに挑戦する。そして、それを目の前の生徒たちにぶつけていく。

すると、こういう反応が返ってきます。


「先生、本当に歴史好きなんだね」
「楽しそうに授業している先生を見るのが、楽しい」
「歴史は暗記だと思ってて、嫌いだったけど、何か好きになった」
「先生の授業は、何か、人として考えさせられる。勉強になる。」


ありがたいことです。

教えるために、先生も沢山勉強します。

自分が勉強する先に、教えることで目の前の若者たちに還元して、それを受け取って、何かを感じ、何かを返してくる、もしくは、吸収した知識によって感化され、変化し、成長していこうとする姿をみられる。それが、授業の最高の醍醐味だと感じています。

自分が刷新される分、その醍醐味は予測不可能なほど増していく。だから勉強は楽しい。

私は、目の前の高校生たちよりも子どもなのかもしれない。

TVを観るにしても、本を読むにしても、「へ~、こうだったのか」や「思い違いをしていた」そんな衝撃を受けることが少なくない。そしてそれが、自分の仕事、自分の生活に直結している。

これは、教育を生業にしているから言えることではあるが、

おそらく、どの仕事をしても、どこで暮らしても、何歳であっても、

何かを「学び」何かを「教える」というのは、地球全体で、自然に、当たり前になされていることなのではないかと思う。

受験、テストの点数、それがこれを読む人にとっての至上命題だというのは、よく理解している。

でも、それだけ、大学に合格するということだけを目的にすると、少し、窮屈なのではないだろうか。


「誰でも、おさない子どものような心を持っていなければ天国に入れない」
という格言があるが、

それは、今回紹介したスピーチになるように、純粋で、どんなことでも吸収する力がある、子どものようであってこそ、固定観念にとらわれず、変化に富んでいて、新しいこと、必要なことを感じ取って、変化していくということをあらわしているのではないかと思う。


これから、車の運転も覚えたり、料理も覚えたり、税金のことも覚えたり、就職して仕事を覚えたり、運命の人と出会って結婚生活を始め、家庭を持ち…そうやって人生の時は、止まることなく進んでいきます。そしてその時間のすべての中に、意識的に、もしくは無意識的に、学びがあります。

今は、「点数」という絶対的で、残酷な現実が突きつけられる勉強に縛られている分、
その苦しさ、負担、ストレスはよくわかりますが、それさえも、人生の1つの通り道にすぎません。

時間は有限であり、実力という現実に、打ちひしがれる時もあるかもしれませんが、
「宿命」だと思って気負わずに、大きな心を持って、自分の成長のために、人生の望みとする「実」を刈り取るために、楽しく、努力してみたらどうでしょうか。

「なぜ勉強するか」について、引き続き連載していこうと思います。ワセモン。








なぜ勉強するのか

テーマ:なぜ勉強をするのか。

なぜ勉強をするのだろうか?なぜ大学に行くのだろうか?

ワセモンを訪れたあなたは、きっと理由があって、早稲田大学入学を目指すようになったのだろう。それはとても恵まれていることだと思う。がんばることに理由があるというのは、がんばれなくなった時に、自分を支える大きな力になるからだ。

しかし中には、ワセモンを訪れはしたけれどなぜ勉強するのか、なぜ早稲田に行こうとしているのかはっきりしていない人もいるかもしれない。

そんな人たちのために、おこがましいことかもしれないが、なぜ勉強をするのかについてワセモンスタッフなりの等身大の考えを提示することにした。受験生に向かっておべんちゃらを述べようというのでもなく、ごたくを並べようと思っているわけではなく、ワセモンスタッフも一様に悩んだことがあり、考えたことでもあるテーマなので、総意があって特任されたスタッフ(以下ワセモンとする)が記事を設けることになった。
重ねて言うが、ごたくを言うつもりはない。ワセモン自身がぶつかった悩みと、繰り返した失敗をもとに、等身大の心で「なぜ勉強するのか」について書くことにする。

ワセモンは地方の進学校へ通っていた。全国偏差値でいうと70程度の名門校で、入るのにもやっとのところで滑り込んだという感じだった。中学生だったワセモンにとっては、まさに夢の高校と言ったところだった。

いざ入学してみると、理想と現実とはこれほど異なるのかという程違っていた。
入学した直後、まだ高校一年の4月だというのに、大学希望調査が行われた。第一希望から第三希望まであり、とりあえずワセモンは第一に京都大学、第二に筑波大学、第三は忘れた笑

そんな希望を書いたところで、ワセモンはそれに見合う努力をしたのかというと全くしていなかった。大学なんて、まだ先のことじゃないか。その一点ばりだった。そんな中いつの間にか5月の連休も終わり、最初の中間考査が実施されたところで結果は学年後ろから3番。今振り返ると、あの成績で後ろにあと2人もいるのかとびっくりする程できは良くなかった笑

それでも、気にしてなかったんだな。完全に開き直っていた。「3番だ」と言って自慢していた。そんな成績は一年を通じて続いた。案の定、進級が危ぶまれた。というか、数学などと言ったら、数学IA、数学ⅡB共に年間をとおして赤点で、単位を落とすのは間違いない状況だったが、進級試験と称する追試補習を受けさせていただき、お情けの追試でやっとこさ進級できた。

自分で言うのも何だが、中学時代は勉強もスポーツも校内トップクラスで目立っていた。
勉強はできるけど、不良の多い学校だったから悪ぶったりもしたし、わざと喧嘩をやって見せながらなめられないように努めつつ、先生たちとも仲良くする。なかなかE難度の中学生活を過ごしていたはずだったが、気づいた時はただの落ちこぼれだった。

立ち止まってふと自分の周りに目をやってみると、「勉強するのが当たり前の学校」で、意味無く反抗して勉強をしない、変な奴だった。

ここまで記事を読んだ人は、もしかしたら、「よくある話」と思うかもしれない。勉強できなかった人が、奮起してがんばって偏差値20から早稲田に合格した!みたいな劇的な話だろう、そういう風に想像したかもしれない。ワセモンの場合、実際にそうだった。振り返れば劇的な高校生活だったと思う。落ちるところまで落ちて、よくぞ、ど根性で這い上がっていったものだ。

スラムダンクの影響で、ミニバス時代キャプテンもやり、地方選抜にも選ばれ、中学では県ベスト8になるまでがんばったバスケットも、それが自分の支えだったはずだが、大怪我をして辞めざるを得なくなった。高校生だから、異性に興味も持ち始める年頃。ワセモン高校も例外なく好きな人がいたが、勉強もできない、先生にも匙を投げられた男に振り向くもの好きがいるような学校ではなかった。勉強できる、スポーツできる、女子にモテる、それが出木杉君だとしたら、全部反対の男がワセモンだった。

本当に落ちこぼれて、それでも毎日勉強だけはものすごいスピードで進んでいく。進学校に通っている読者の方は共感すると思うが、英語は高2の時点でセンター試験を解かされるし、国語は古文も漢文もセンターレベルまで求められるし、数学などは、高2の時点で数Ⅲ数Cまで習い終えて、三年は演習だけの学校だから、もう時間が経てば経つほど回復の見込みが無いくらい追い込まれていった。高1で受けた進研模試は、42万人中40万番というものすごいケタの成績だった。

最初は成績が悪くても平気だった。理由もわからないのに、行きたい大学もはっきり決まっていないのに、ただただ勉強させられる。朝は7時20分から授業があるし、月~金まで4時半まで授業、土曜日も毎週授業、夏休みも前後2週間ずつ授業、やらなければただ置いていかれる、そんな状況に無謀な反発心を覚えて勉強はサボり続けた。何で勉強しないといけないのかわからなかった。

「なんてザマだな…。」自分で自分を嘲りながら、どうやって浮上したらいいのかわからなかった。いつか浮上できるかなと思いながらどんどん沈んでいくばかりで、朝も起きれなくなったし、学校で強がりも言えなくなったし、「俺は本気になったらできる奴だと自分に言い聞かせてはいるけれど、本当に俺はダメな奴なのかな…?」

だんだんと無気力になって言ったワセモンにトドメの一撃を刺したのが、中学校時代おままごとのような付き合いをしていた女の子から自宅に電話がかかって来て、「ワセモン君、最近、○○高校で落ちこぼれているらしいね?」とのたまったことだ。いや、彼女さん、君はわかっておくれよ…そう思いながら、「何も言わねーでくれよ。」そういって力無く電話を切ったことがなつかしい。
でもその勢いで、某高校の仲良しの友人に電話したんだな。「仲良し君、俺ってダメな奴かな…?」その時は、何かにつかまらないと、倒れそうな程弱ってたんだと思う。急にそんなこと聞かれた仲良し君もびっくりしたと思うが、電話越しに彼はこう言ってくれた。
「ワセモン、何を言ってんだい!ワセモンみたいな気のいい奴は、そういないぜ?」

文章にすると、何か、青春漫画の中の、何の変哲もないワンシーンのようだが、ワセモンの中で何かが切れたようで、強がっていたたががいい意味で外れたようで、ホロホロと涙が止まらなかったものだ。

そこから気持ちは吹き返して、2年生の夏まで放蕩を続けた笑

おい、そこで立ち上がれよ。勉強しろよ。というところだが、ワセモンはそこまで出来た人間ではなかった。

元気になったところで、体育祭の日に逆ナンパされて知り合った私立の女子高の三年生の先輩の尻をおいかけたあげく惨敗し、「何てザマだ…。」と久しぶりに打ちひしがれたところで、そろそろ勉強しないとまずいなと思った。

「何で勉強するかって?」「そんなん、理由なんていらねーんだ。みんなやってるし、やらないと潰される学校にいるんだ。やるしか、ねーだろう。」

そう自問自答して、自分で遅れた分(2年の夏前の時点で校内で後ろから20番くらい。学年450人中。)を取り戻すにはどうしたらいいか考えて、本屋に行って、参考書と問題集を買いに行って、勉強を始めた。
部活を一年の終わりに辞めていた自分にとって、勉強するには十分な時間があった。
夏休み、三年生は毎日200人以上学校に来ては自習していた。その自習室に、二年でたった一人ワセモンは紛れ込んで、朝から夕方まで勉強していた。

もちろん、それをやったからと言ってすぐに成績が変わるわけではない。2学期の中間考査では300番くらいだった。

でも、そこで自分の人生を決定づける出来事が起こった。

高2の秋だった。忘れもしない、世界的大事件が起こった。それが何かは、ワセモンの年齢が知られてしまうので秘匿するが(笑)、大事件であったことは違いない。

ワセモンはその日、TVを食い入るように見ながら、事件のことをずっと考えていた。
初めてだった。自分に全く無関係の人に降りかかった不幸を見て、涙を流すのは。
初めてだった。自分が、いかに恵まれた環境に暮らしていて、同時に、その環境を、平和を、自分の才能を、どれだけもったいなく、価値を発揮できないでいたかを考えたのは。

そこからワセモンは変わった。

勉強する理由ができた。なぜ不条理なことが起こるのか、知りたくなった。なぜ不条理が起こる世界になったのか、知りたくなった。自分に何ができるのか、知りたくなった。
世界を変えたいと思った。高校生である今はできない、でも大学に行って、実力をつけて、社会に出れば、この自分ひとりの人生を、自分だけのために終わらせないで、もっと価値があるように。ひとりの人生でなく、もっと多くの人たちのために使う意義ある足跡を残せるように。そのために、勉強しよう、大学に行こう、変わろう。そう思った。

振り返れば劇的だった。

極端な事例は、一般化できないから、あまり参考事例にはならないと思っている。
割愛こそすれど、誇張したつもりはない。

そこからどうやって成績が上がったのか。秘訣は、目指すものができたからだ。
「早稲田に行こう。」その思いが全てだった。「早稲田に行って、卒業したら、世の中のためになる男になろう。それが何かは、早稲田で見つけよう。」その志が、入学してからも、自分の人生をさらに充実したものにしてくれた。

ワセモンも、高3になって、受験日を迎えるまで多少のブレはあったし、念願の早大生になってからは、もっと大きな紆余曲折はあった。それでも、「なんで勉強するのか」ということについては、人一倍向き合い、もがき、闘った自負はある。

なぜ勉強するのだろう。

ワセモンは、今も勉強する。どうして?

世の中を変えたいと思った。今は、世の中を背負う若者を、育てる仕事をしている。
投資をしている。高校生という、世の中の未来に。
時間を、知識を、お金を、思いを、投資している。
何をどう教えたらいいのか。どういう時にどういう言葉をかけたらいいのか。自分がどういう大人になれば、投資した分が実になるのか。全てが勉強だと思っている。

「知ることは力だ。」byフランシス=ベーコン

単純なことだ。知っている分、使える道具が増える。知っている分、使えるサービスが増える。知っている分、権利を行使することができる。知るということは、無知という暗闇を照らす光になる。子どもっぽい具体例はあげないでいいだろう。

「真理は人を自由にする」という言葉がある。

教育基本法第7条
大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

真理とは何か、それは哲学の領域だけではない。社会学も、政治学も、経済学も、世の中の事象をとらえ分析するあらゆる作業も、何をどうしたらいいのか、見出さなければならないし、数学も物理学も、理系の学問も、わからないことをわかろうとして、治せない病気を治そうとして、努力を続けてきた。根源的にはそれら全ての過程が勉強であり、それは人の歴史と共に脈々と受け継がれてきた営みそのものではないだろうか。

「早稲田に行きたい」そう思う理由は何でもいい。でも、なぜ勉強するのか?という疑問に対して、「早稲田に行きたいから」だけではだめだ。「早稲田に行って、~をしたい。」それがあれば、動機がはっきりしている分、勉強したくなくなった時、自分を支える力になる。

早稲田は、反骨の早稲田といわれる。
願わくば、日本を変えたい、もっと世界を良くしたい。
そんな、人に喜ばれる、誰かの幸せの助けになる大きな志を抱いた人に、ワセモンの門を叩いてもらいたいものだ。

昔を思い返しながら、等身大の自分というものを意識して書いたつもりだ。
この文章が一体、どれだけ読者に力を与えられたかは、はなはだ疑問が残る。
それでもワセモンの思いは、がんばるものがあるというのは、人として幸せなことだと素直に思うのだ。落ちこぼれといえど進学校に行った基礎学力があるとか、そういう風に言われたら、何も反論は無い。自分自身、落ちこぼれと言えど、「俺はやればできる!」と、堅い信念を持って開き直っていた。できると信じなかったら、現実を跳ね返すだけのエネルギーは生じなかったと思う。

過去を後悔しても、言い訳をしても、どうしようもない。
ただ1つ断言できるのは、未来を握るのは、現在の自分だということだ。
一日一日の行動で、一瞬一瞬の決心で、少しずつ少しずつ、未来の自分の運命が左右されていく。
「可能性は無限でも、時間は有限だ。」
某予備校のキャッチフレーズだが、その通りだと思う。

受験勉強は早く始める。目標を定めるのが早ければ早い程、現役合格率は高くなる統計がある。そして、やったことは裏切らない。才能や、火事場の馬鹿力をアテにしないで、努力できる人になろう。

辛いと思うことがあっても、わからないことがわかるようになれば楽しいし、がんばること自体にやりがいを感じることができるのが、人間のいいところだから。

このページを基本としつつ、これから、「受験に打ち勝つ性格」というテーマで、随時記事を更新していこうと思う。